耳が悪いnんぢゃなくて(あんたの)→頭が悪いのょ

Posted on

mと、sono慶応病院の医者はいった。ぼくに
よーわその、人間の耳が左右同じなんてことわアリ得ズ形状も然り、おまへさん言うとこの左にくらべて右耳のどの帯域がなんデシ落ちてるとかってのわ、鼓膜から先の電気信号をデコードする能力、が=頭が悪い。と
それツンボ期以来、ぼくは潜りまくってたダイビングを一切断念し、起きてる間数十時間かけまくってたヘッドフォンも数十分以上無理になちゃって、ベイビー綿棒が離せなくなり、ひこーきもけっこーキピシイ、逆コンクレートとしてのBose® QuietComfort® 20 Acoustic Noise Cancelling headphonesがむしろ救いの、さっきの映画もちょい右位置に座った、センター定位をとるためにね。その映画、『FAKE』

けっきょく何が問題なのか、何がダメなのか、ことの起こりからその映画みたあとの今に至るまで、さっっぱり謎。たまたまキスしまくるくらいよくしてくださってるメーカーD.の方が当該佐村河内さんの御担当だったことで、さっき聞いたけど、やっぱし何がどーなのか、さっぱり不明。→(障害者手帳の方々&被災者へのってことっていってたけど、よーわ権利とかのことっわカンケぇ無いってこと=そりゃそーだ)然るに!あなた

   よーわ音楽ですよね。他になにか必要なの?

あんたら一般人がスキャンダルに飢えてて、そこ埋めるのさエ音楽家の仕事に要求したのもあんただろーに、その嘘=仕込みのどこのナニが悪いのか?、ダメな作品わ作家の責任、ダメで無いもんに仕上げるにわモチベーション、モチベーションは創作してるっつー勘違いが担保してて、勘違い=パクリの罪悪感をスリ抜ける手段が”無知”、よって作家てのわ音楽を知らない、だからオリジナルってのに価値がある、のが条件。書いてるのが数十段譜であろーと図形譜であろーと指示書であろーと、それってオーディエンスに何某かの関係あんの?
 権利もモチ同様、しつっこいが、オリジナル書いたら死刑。から生まれた機能和声でウハウハいってんのわ誰なんすか。かんけーないっつってるおまへの顔がかんけーない、正解はかんけーない、が正解
本件、ウソバカ好きモノ地民のスキャンだる好物にスリ替えられた(自作の恥ずかしさに耐えられず森達也氏(&カメラ(&全員))にしか見せれなかったの本質それがイッパンヂンの目覚ませたんなら、あんたらは恥ずかしいCDを18万枚買ったってことでしょ)<この世の実損失>と、宇宙の謳を書いた超越妄想現実派スキャダリストの巨大偉人<あの世からもの御利益>と、の両方お同時にやってのけるで頂けるであろぉ同一人物、それ、が、本質。でもって本質のスリ替え也

1998年の春、。旧東ドイツのちっさ

Posted on

なまちBITTSTADTで演奏してた。ぼくはギター装置に3つのジャック穴あけて、そのプラグはMS-20の右下SIGNAL INに突っ込んで。1台のギターから3台のMS-20に。ヘヴィゲージを引っ掻いてはパッチ線半挿しひねり倒して。。おわってから駆け寄ってきたれんちゅーの中に「おまへのMS-20はいくらで買ったんだ?」ってmヤツがいた、たしかその頃は中古で8万とかだったかと、っつーと、「だから3台も持ってきたんか、乱暴に扱いやがって、云々」と。
その頃ヨーロッパで日本製アナログシンセは、日本で出回ってる価格の少なくとも数倍の値段がついている。そして、ぼくらが目ん玉ひっtっちゃくり返すよーな値段だった欧米のシンセは、すんげー安く売ってるってことに気付いちゃた訳です、その場で知ったわけです。日本と外国では国産と外国製のシンセ価格がまっさかさまに巨大に逆転、ProphetはいらんJUPITERが夢だ=高いから。っていいキッッタ奴、日本製とは如何になんなのか・・
その2年後、ワンノート専用ラジヲ局にチューニングしたアウトバーンをっつっきってパリに向かったぼくらは、ドラマーのEmikoちゃんにAndrewを紹介された、パリの日本人に紹介されたそのイギリス人は、ぼくの最大のアイドルSTOCK, HAUSEN AND WALKMANのAndrew Sharpleyだった。EmikoちゃんとAndrewは、その2年後ぼくの自宅に泊まりにきてくれて、いっしょに日本ツアーすることになる。

外国での日本製評価と、STOCK, HAUSEN。
ドイツにはシュトックハウゼンがいた。まだ生きていた。だから、STOCK, HAUSENとした。

日本にはTOMITAがいた。まだ生きていた。

その10年後、TOMITAにご相談を受けるという、アリ得ない好日を頂戴することになる。『ヒューマンクロックで20%以上のリタルダンド追従なんて、アリ得る話しなの?』と。とり急ぎ冨田先生にはシンドラのキックをトリガーにシーケンス噛ませ、rit.どころか破格のアチュレランドをLIVEで実現していた20年前のビデオ「NO ROOM」をご覧頂いた。『なんだ、できるんぢゃん』、と。平沢さんの曲で、システムは僕が作っていた。機能として出来るモノと、現場で使えるモノとの、決定的な違いを、冨田先生は瞬時に見抜き。
それから『オーケストラとコンピュータってどうやって共存させる?』と、看護婦の衣装を着させたオケとの共演ビデオをご覧頂いた。これまた平沢さんソロでのバック期のだけど、オーケストラを背中にしょって、僕がカーツウェルっでフレーズサンプリングを叩いてた。
でもって、70年万博の話しが出た。ぼくは幼稚園の卒園式を抜け出し、伊丹へとぶ、osakaそこで全てを体験しちゃった。電子音楽の全てがそこにあった、ので。だから、ぼくは6歳以降余生だと思ってる、小学校以降は老後なの。そこに全部あったから、聞いちゃったから、。みたいなお話しをさせて頂いたかと、そこには冨田先生の音楽もあった、ことを知る。『そこでスイッチト・オン・バッハ聞いちゃってね。』『でも、もっと出来ると思った』と、。凄い。直接聞けた、レジェンダリーな著述で拝見したお言葉そのままに、。1991年、p-modelの解凍というのがある、その前に、解凍しないか?って話しがあった、そのとき、えらそうにいろいろ言ったぼくは、平沢さんから「スイッチト・オン・バッハ聞け」といわれる、買った。その頃、音楽を買うなんてこと、まず、なかった。しょうじきなとこ、音楽作るのに商品として売ってる音楽聞く必要なんて、ほぼほぼ感じてなかったし、むしろ、ストラヴィンスキーいうとこの「商品価値のつく個人語法、かつ同時代性を有する未聴感」の、ぢゃまだ、くらひに想ってた。、今でも、のに、でも買った。で、はっきしいって、良くなかった、損したと想った、損しただけでなくて、買っちゃったので元取んなきゃって思って「2D OR NOT 2D」って曲つくることになる。なにやら繋がり過ぎてる、オカシイゾこれわ。無理やりなのか?
だから、冨田先生とご一緒できたことって、平沢さんのお陰げだったって、ますます感謝が、、、、、というか。「2D or not 2D」もそーだけど、そのあとのぼくのソロ作も、白玉に対する怨念、不必要感からきてる、ぜったい、ぜたい、それ、だった、けど、思いあがってた。やはり、ぼくは白玉の音響パラノイアお二人にぉ遣えしたことになる、そばで見ちゃったりできちゃったりつまみさわっちゃったりしてたもんだから、心底わかる、いやわかってない、それでもわかる、心底、恋は異文化交流、だと。

冨田先生の作品には引用が多い、多いけど、クラシック音楽っつーんなら、そもそも中世以降すくなくともしばらくは、パクリ以外は認められてなかった、オリジナル作ったら死刑だった、つーのがそもそもクラシックであり、グレゴリアンチャントのそれであり、そんなことよりも、教会の石の響きのほーがでんでん重要だった、ハズ、で。音楽の理論史は戦争-建築-万博-サミットといった流れでできてる。ってぼくは思ってて、イギリスvsフランスの百年戦争のおかげでドミソができた、し、教会のおかげで限定進行音が、で、リバーブタイムが長い石造り建築内ぢゃ、前の音が残っちゃうんで、次の音はゼロビートぢゃないと気持ち悪い。よって、純正調で積み上げてく、と、複雑な和音はヴォルフを出すから、結果的に簡単な堆積音しか使えなくなるし〜・・・そのあとも延々と、、100年ごとに1音ずつ
mでもってなして作詞と作曲が同額なんだ?って思ってた、いまでも、で、編曲はただなんか!?って。、編曲に著作権が無いのは、アメリカ最初の著作権管理事業者ASCAPを創設したひとが右手でしかピアノを弾けなかった、から。それだけ、のこと。つくづくユニオンなアメリカ人種と、つくづく年金なヨーロッパ人種とのトリックで、文化的非対称性が形成されちゃってる、と。その力が弱まってきてるワケわ社会的階層の変化、表現の脱神秘化、芸人によるルールの変換、とか、いわれてる?けど、そーなの?か?最低20年の特殊訓練を受けた人間が100人で合奏する再生装置としての超奇形態=オーケストラをそれでも日本に残す意味合いって、何さ?答へ、はめっちゃさりげない、さりげなさすぎる宮沢賢治氏の引用からはじまる、それも3つの音だけでできている、マエストロが覗くスコアには“無伴奏”と記してある、それ。巨大なユニバースすぎて、引用がどーとか、だからどーしたとか、ってな気にしかならん。M1。。
5度平行のアレンジ曲がある、それはぼくらの中でM6とよばれ、ぼくはお休みの曲で。ただステージで、いつも感じてた。ホルンが4本で。5度平行は和声法での代表的な禁則で、それでも定旋律=グレゴリアンチャントからハミダス泣き言のためのオルガヌム、或いは、スモークをオンザウォーターにする為のパワーコード、そのどっちでもでんでんない、なんて言ったら、な、豊かさ、に、ぼくはそのM6が、、、

2012年イーハトーヴ交響曲のシステム構築は、なんつーか、20年前30年前にぼくてきには実現済みのすでに出来てる、出来てた。っていっても、そのローカライズ設計は、ドーパミン出っぱなしで、昼夜問わず冨田先生とも蜜にご連絡取り合いの半年で、すっげぇ、そのこと、夜通しとゆーよりも、時間に関係なく、時間に囚われず仕事できてること、を、手塚治さんともそーだったんだよなーとか仰いながら、すっげ、そのこと自体を、内容をすげ嬉しく思って頂いていたよーなと、感じてまして。とゆーか、はっきし言って、結局のところ、システムに興味あるオーディエンスはゼロだと思ってた方が正解で、むしろ、そこ超えてなきゃ無意味っつーか、制御装置や技術仕様などは伝わらない方が成功。なんだけど、それでも、理解者がもし、いてくれたら。の、最大の理解者が冨田先生でいてくれたことは、なんとも、何某か乗り越える度にとにかく抜群に喜んでくれて、それはもぉ。。何度も日本酒を、まれにワインを、オイスターバーのカウンターで待ち合わせて、。更に。
で、『ドクターコッペリウス!』最初にお話し伺ったのは、イーハトーヴ交響曲初演の翌年、2013年の正月だった。と思ふ。イーハトーヴが最後って言ってたのに、とは、思ってたけど誰も言う、必要、すら無かった。アイディアが降りまくってるのは、もはやハッキリと明らかで。。
それから、衛星を飛ばしてリフレックスミラー屈折させて月面にさー、とか、そんな話しを3年ほど
きょねんの北京と盛岡を経て、ことしのお正月からは、グングン加速してきた、制作も乗ってきてると薫り、ラスト1ヶ月ほど、ほぼほぼ毎週お会いしていたとこで、残ってる作業を順に潰していってるな、とは、なんだか実現するための、その方法を教えて頂いてるよーな気がして。
全体構成はたしか、3月30日デモスケッチで頂いた。たしかというか、はっきりとその日=ぼくのたんぢょうび、すぐに小節番号を振りなおして、リハ譜とともに深みを探った。それから、じっさい演奏する為の楽器編成や、プロットからの展開や、キャスティングや、PAの具体、そんなお話しを延々とさせて頂いてた、4月7日の夜半、「決めました、よろしく頼む」と。のお電話、なんだろーと、思った、たぶん、ぼく含めて3人ほどに同じこと伝えたのでは?と、すぐ思ったんです。そーいえば、何万人とかあつめて野外で巨大すぎるサウンドクラウドをやってたときも、4人とか極数人だけで中身作ってたと仰ってて、具体的にお名前あげて、しかも、なんだか似てる、いやいや僭越すぎる。でもなんだか似てる、。。コッペリウスの公演は4月22日に発表された、冨田先生84歳のお誕生日だった、その前日も冨田先生からご教示を受けた、別れ際タクシーから顔をだし「よろしく頼みます」といわれ光栄なのか恐ろしくも、堆積してる確認作業と構築をヒヤヒヤもんで潰していって、、、、それでも、みつかっちゃったねー、とか仰いつつの、結局、先生の御前で僕が板書きした冨田先生最後の言葉は『プラネットナイン』。
理屈でくるひとには理屈でかえせばいいし、暴力のひとにも暴力で大丈夫だけど、優しい方にはどうにも叶わない、どうやっても、優しくしてくれているまま、仕事がダメなら切られるだけで。見てるとこも違えば、たぶん、見えてるものも、ましてや耳の奥底で鳴ってる音も、違ってたんだろーな、。お優しい方ならではの本物すぎる厳しさ恐ろしさは、いつもヒシヒシ伝わってました。。

先月の編成打合せ時、冨田先生から全音音階の話しが出まして、たぶんドビッシーを想定してでのことだと思ったんだけど、その流れでぼくは内声の積み方のご相談をさせて頂いて、それはトリスタンとかもあってのことだったんだけど、それについて冨田先生が「どうせ内声なんて誰も聞いてないから大丈夫だよ」とのお言葉が出て、それこそ、ぼくわ椅子からズリ落ちまして。
冨田先生は、トヨタやホンダやソニーやトーシバ(おそらく隼戦闘機も)が世界に見せてきたその精密さや品質に、オリジネーターの凄みを加えてジャパンクオリティを世界に知らしめてくださった大恩人で、世界の電子音楽界が喪に服してるのも如何にも。その緻密さの極限を身を持って身を削って作品化されてきた至宝御方自ら、内声なんてどうでもよい、とは、重みがありすぎ恐怖で震えた、のです。
要は、音楽ってのは、そんなもんではなくて、もっとエコーの成分だったり、フィルターのエンベローブだったり、だろ?。みたいなことを教えられた気がしまして。ぼ、く、は最後の弟子になれたんだろーか

冨田勲先生が、2016年5月5日こどもの日に亡くなった

What Happened, Miss Simone?

Posted on

『日本語でニュー”新”ウェィブ”波”と書いて、豊穣の女神Nina”にいな”と読む』
      
ニュー・ウェーブまたはニュー・ウェーヴ(New Wave)は、英語で「新しい波」を意味する。
● ヌーヴェルヴァーグ – フランスにおける映画運動
● イギリス・ニュー・ウェイヴ – イギリスのフリー・シネマ運動
● ニュー・ウェーブ (SF) – SFにおけるニューウェーブ運動
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%96

ニーナ・シモン(Nina Simone/ˈniːnə sɨˈmoʊn/、1933年2月21日 – 2003年4月21日)は、個性的な歌声で知られるアメリカ合衆国のジャズ歌手・音楽家である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3

ニーナ (779 Nina) は小惑星帯の小惑星である。ウクライナのシメイズ天文台で、ロシアの天文学者グリゴリー・ネウイミンが発見した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%8A_(%E5%B0%8F%E6%83%91%E6%98%9F)
※発⾒⽇1914年1⽉25⽇←1⽉⽣まれの故祖⽗と25⽇⽣まれ祖⺟の⽉と⽇を、発⾒の会とし聯⽴=リインカーネーション。

ニーナは、ヨーロッパ、特に中東欧の女性名。ニナとも表記される。語源には以下がある。
● グルジアの亜使徒光照者聖ニノ。Saint Ninoが正式だが、時々Saint Ninaまたは、Saint Ninnyと書かれることもある。
● バビロニア・アッシリアの豊穣の女神 Nina。イシュタルに相当する。ニノ (Nino) に同じ。
● アントニーナ (Antonina)・ジャンニーナ (Giannina) などの愛称。男性形はニノ (Nino)。
● スペイン語で「小さな女の子」という意味の niña。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%8A

新⇄
「今までなかった進んだ物事」(例:新しい技術、斬新)
「生き生きしている(生きる為に必要な力を持っているような状態である)」(例:新しい魚、新鮮)
※”にい”と読むことでイニシャルのN を、御祖母から頂戴する。

波⇄
「なみ状のもの」(例:電波、周波)
「動く」、「なみのように動く」、「なみのように伝わる」(例:波及)
また、3.11お忘れぬ様に。
※左辺の「流れる⽔」の象形である”さんずい”は、祖父御から頂戴する。
   
さんずいは3画説と4画説の両解釈があり、姓名判断にはワウフラを齎す。新波は特殊格として多元主義(真の相対主義は平等な多元を容認することである)の源とす

陰陽五行=大吉
※水を吸って「木」が育ち「木」は火の燃料となる。⇄ 解釈学的循環構造の中で客観(事実)を主観(パラダイム)によって規定する目と耳を以つyo

新波