ら、そこから日本語禁止のピアノ教室に2歳の愚息がかよってましてー、その、なんで?>ってのに、いちいちな回答めんどーだたり、nで、こち↓ら
そもそも、ピアノなんて2歳からでも12歳からでも結果、変わらん、演奏能力についてわね。なんつこと、言われるまでもなく、あたりまえのことで、べつに投資してるわけでも全然無い。し、いまだに日本語も全く喋れてない。のにのに?よーわ、。四つ足期をママ延長させるべき、って、こと、。なのです。
人の親が子に仕込むべきマストはサバイバル能力だけで、あながち山ん中に捨てられちゃったりしても、それでも、何某かナンとか生きて帰還できる。北米インディアンのトラッカー的な、その知見だけが、なんつーか、責任みたいなもんでして、それ以外のe.g.みらいを語るっとか、そもそもそんなこっぱズかしーこと、しちゃダメにきまってるし、付添いの辱めをみせちゃうょーなリトミックとかわ、もち、最悪なわけで
そこにカワヨ÷せる直前までやってたこ
と
=>わ、『できるだけギリギリまで二足歩行させない』
なんつーか、人間が普通に生きるとして、そのほとんど、残りのほとんど全部は、どのみち二足歩行しちゃうわけで、なら、ば、直立二足歩行で失った何某か、手の感触、指の感触、腕力、偏心荷重、縦弾性係数薫、諸々、カタギの人間が二足歩行で捨てちゃったモノをギリまで体感記憶させる、って、こと、こそが、オヤのギムであるハズで、ユネルタンシンドロームとか五体投地とかとわ、デンデンとーぜん違った話しながら、手をグラウンド這わせてのハイハイヨチヨチな四つ足歩行おば、なるたけ長期間やらせたっつーか、立つことを推奨しなかった。。ん、だけども、それでもやぱし、そのうち自分で立った。わけです
で、もって、2歳になってた。
自分で立ったばっかしなんで、まだ、その、四つ足な感触も相当度合残ってるハズで、その、宙に浮いた二本の脚で、鍵盤叩かせることでもって、サバイバル開発な前ノメリ加速感をキープさせる。。これが、まず、ピアノ教室の目的ね。
だいたいが、何某かのスキルを身に付けちゃったら、それわ、もはや、身に付ける前の表現が、そこで不可能になっちゃう。使い方が判らんがこそ作れる作品っつーのがあるわけで、そこは、不可逆。でもって、なぜに日本語禁止なのか?よーわ、日本語でなくて、英語(だけ)で習うピアノ教室なんやけども、それも、英語の早期教育なんて逆効果。なこたー、ぜんぜん知ってて
っつっても、そもそも日本語もまだ、まったくだし、いらんもんなら無駄なんで、必要に迫られる雰囲気の場にゃ、国際線のりつぎだろーがなんだろが、なるたけ連れてくよ0-にゃしてるけど、住むとこ変えるとかならアレながら、外国語そのものなんて、2歳からでも12歳からでも104歳からでも結果、変わらん、っつーことも、ぜんぜんアタリ前のことで
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日本語もしゃべれない乳幼児に英語習わ
せ
るその理由わ=>『できるだけギリギリまで会話させない』
てことでして。ま、たぶんだけど、どのみち、そのうち、日本語喋れるよーになる訳で、残りの何十年か何千年かわがんないけど、その残りはずっと、たぶん、日本語でも何語でも喋ってるわけで、ならば、その、可能な限り高度な理解力以てして、且つ、言葉を介させない、その、めちゃ不可逆な思考期を、限界まで永く深くたいけんさせたげることこそが、人間の親としての義務なわけで。会話できない、その、タイミングならではの、シニフィエを造り出す能力。語と語とのネガティヴな「差異」は、そこからひろってこえばいぃーわけで。アトモスフィアの解釈力を建築させるにわ、むしろ、2歳で会話させない。って、ことね
それもこれもょーわ、サバイバル能力のこと、って、なことな、ことでして